句読点は区切ってしまう

結婚式の祝電を書く機会があり、そこでは句読点が避けられることを知りました。句読点が文章を区切る働きを持つことから結婚生活を区切る働きが類推されて忌まれるそうです。

結婚生活の「区切り」には銀婚式、金婚式のような「節目」もありますが、こちらは悪い意味では捉えられません。「節目」は縁起が良くて「区切り」は悪い印象があります。確かに節目はその先にも節がある印象もありますが、節の「区切り」でもあります。ならば縁起の根拠はーーという話しではないのが「縁起」かもしれません。。

理系・ビジネス文書に慣れてしまうと婉曲表現より端的な表現を選びたくなりますが、そういえば目(書体)や耳(響き)への心配りもまた日本の文章だと思い出した今日このごろです。

昔は記録媒体が書物だったので句読点の区切りが強調されたと想像しますが、記録方法が口伝だったら沈黙がその立場にいたのでしょうか。日本ではワビサビとして沈黙も好まれる印象を持ちますが、文化によってはこれも忌まれることがあるのでしょうか。色々と気になることも残ります。